• 写真展「Ango」

    会期:2018年4月13日~5月13日 9:00~21:00
    *休館日/4月16日(月)23日(月)5月1日(火)7日(月)8日(火)

    会場:砂丘館(新潟市中央区西大畑町5218-1 tel025-222-2676 )

    ギャラリートーク:4月14日 15:00~16:00
    町口覚(グラフィックデザイナー、パブリッシャー)大倉宏(砂丘館館長)野村佐紀子

    読書会「戦争と一人の女」を読む:4月28日 15:00~16:30
    上田晃之(劇作家、演出家、役者)



    「防空壕という夢」
    大倉宏(砂丘館館長)

    『戦争と一人の女』の主人公・野村は、戦時中一人の女と暮らしていたが、防空壕に壁を作り足す作業中に石が崩れ怪我をし、立ち上がれないまま終戦を迎える。空襲下、避難する人の群れから離れ、家を消火しようと彼が決意したのも、女に引っ張られてもぐった防空壕でだった。防空壕は各家が敷地内に作った穴――簡易な地下室である。空襲時の退去禁止と消火義務の法定とセットになって各家庭に指示された施設だったという。防空壕に避難し、バケツで家に水をかけ続けた二人は、立派に法の指示にしたがったことになる。
     それだけではない。空襲の続く戦争末期、二人はほどなく訪れるだろう戦後に男は奴隷になり、女はみな強姦されるか米人の妾にされると心底信じていた。これまた見事に当時の国の教育に洗脳、影響されていたわけだ。そのような「終末」前の一刻を、二人は夫婦ではない男女として、非対称な(女は不感症だった)セックスに耽る。
     この小説は、日米開戦後、真珠湾攻撃に参加、戦死した海軍兵士への熱い共感を記し、戦時中には日本の伝統の美を称揚するドイツ人建築家に毒づき「タウトは日本を発見しなければならなかったが、我々は日本を発見するまでもなく、現に日本人なのだ」「必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい」と書いた坂口安吾が、敗戦の翌年に発表したものだった。
     占領軍による検閲で「女は大いに戦争を愛していたのである」「戦争なんて、オモチャじゃないか」「もっと戦争をしゃぶってやればよかったな」などを含む部分が削除された。無削除版が世に出たのは半世紀以上たった二〇〇〇年のこと。
     さらに、それから十数年。日本を含むどこでも、戦争が、いつ起こってもおかしくなくなった時期に、造本家・町口覚は「日本の写真×日本の近現代文学」シリーズの一つとして、この奇妙な小説と、野村佐紀子の写真をとりあわせた『Sakiko Nomura: Ango』を刊行した。安吾が言葉で残した「戦争への態度」と、写真家と造本家のそれらが縒り合されるように、“書物”はねじれた姿をしている。
     かつて占領軍の検閲官は、物語に「戦争への愛」の匂いを嗅ぎ、言葉を摘んだ。「戦争を愛していた」女を、安吾は「空襲国家の女であった」と書き、その言葉もまた削除された。
     空襲国家――それは戦争を遂行しえないほどたたきのめされながら、なお負けを認めない国に、ほんの一瞬、泡のように生まれる価値の倒立する時空のことだった。国の強いた法の遵守が、国を消し、植え付けた恐怖が、限りない私の喜悦の源泉となる、そのような時空。火災を伴う空襲ではむしろ死への近道になったと言われる危険な穴、防空壕は、実は、このさかしまな空間をこそ保護する象徴的シェルターだった。焼け野に、一軒だけ燃え残った二人の家は、その反転力で、地中から地上に突き出た防空壕だ。防空壕こそ反転国家の領土であり、そこでは非正規の愛が、正規なものに、不感症であることが、感じることに、国家が個人に、個人が国家に、戦争がオモチャになる。
     町口の直覚は鋭い。この小説を、選んだこと、そしてことに写真家に、野村佐紀子を選んだこと。
     野村佐紀子の暗い、黒い写真と、文章を巧みに切り分ける町口のレイアウトの梃子が、坂口安吾が戦争から抱え出してきた血へどまみれの防空壕という夢の錆びついた扉を、現在へ開く。彼女の師、荒木惟経は戦後、徹底して写真という暗箱を安吾的防空壕(=反転国家)化、つまり世界・国家・個人のヒエラルキーを逆転してきた写真家だったことを思い出す。野村佐紀子(奇しくも小説の主人公と同姓だ)は、手渡されたその箱へ、国家間の戦争を主に担い、戦い、襲う存在とされてきた性を、裏返して放つ写真家になった。
    『戦争と一人の女』は、小説としては、必ずしも、成功していない。男と女の防空壕が、きわめて不完全であり、崩れざるを得なかったように。しかし、それは大したことではない。重要なのは、空襲国家の防空壕を、手荷物にして、敗戦という国境を越えて持ち出そうとした無謀、無法な行為そのものが、この小説だったことだ。そのことを、野村佐紀子の写真のブレ、揺れる遠い光が、魚と人のざわめく部屋の静けさが、暗がりから突き出る生き物の鼻のしめりが、女のはだかの風景のような手ざわりに輝くページの黒が、煙突が、濡れた町が、雪が、そして町口による“書物”の螺旋が照らし出している。